この度当工業会発行のガイドラインJRA GL-20(特定不活性ガスを使用した冷媒設備の冷媒ガスが漏えいしたときの燃焼を防止するための適切な措置)が、
「私の海外駐在記 ~ブラジル~ 前編」日立ジョンソンコントロールズ空調株式会社 佐々木俊治
No.660 2018年11月
今回の海外駐在記は、日立ジョンソンコントロールズ空調(株)R&Dイノベーション本部 主幹技師、佐々木俊治氏の駐在体験を掲載します。ブラジルでの駐在記を三号にわたりお届けいたします。
過去記事はこちらから
■ドイツ駐在記(パナソニック 小林様)
■インド駐在記(日冷工 波多野)
■中国駐在記(日冷工 大井手)
■インドネシア駐在記(パナソニック 菅沼様)
■ブラジル駐在記 中編・後編(日立JC 佐々木様)
■台湾駐在記(荏原冷熱 勇様)
■中国・マレーシア駐在記(日冷工 長野)
■ロンドン駐在記(日冷工 笠原)
■ノルウェー駐在記(日冷工 坪田)
1.はじめに
日立ジョンソンコントロールズ空調(株)R&Dイノベーション本部の佐々木です。2009 年4月から2014年7月までブラジルのサンパウロ郊外サンジョゼ・ドス・カンポス(以下、サンジョゼと略す)に5年4カ月駐在しましたので、その時の印象や現地の習慣をまとめてご紹介したいと思います。
ブラジルでは、空調機の製造販売サービスを行う日立エアコン・プロダクツ・ブラジル社(当時)のサンジョゼ工場に駐在し、工場の運営管理、新製品設計開発、市場のサービス対応等の仕事を行っていました。
以前、本紙面にて当社の大先輩がサンパウロでの駐在記を投稿されておりますが、経済の中心サンパウロとは少し離れた田舎の小都市サンジョゼということや、まわりに日本人が少ない環境から、違った滞在経験を報告できればと思いますので、自分の印象とは違うという方がおられましたらご容赦ください。
2.ブラジルおよびサンジョゼの紹介
ブラジルは、南米大陸最大で、唯一のポルトガル語国で、26 の州と直轄区(ブラジリア)からなる連邦共和国です。面積は日本の22.5 倍でアメリカよりわずかに小さく、人口は約2億人で、面積も人口も世界の第5位に相当します。
サンジョゼの位置
ブラジルは日本からちょうど地球の反対側ということで、アメリカ、ヨーロッパ、中東、オーストラリアとどのルートを経由しても、2回のフライトの合計が約24 時間かかります。
赴任当初はJALの直行便(途中ニューヨークでの給油はあり)がありましたが、すぐに経営不振に陥り真っ先に路線廃止となったため、日系便、直行便ともになくなり、比較的安価で機内のエンタメに日本語ソフトが充実していたドバイ経由のエミレーツ便をよく利用していました。
途中のドバイ空港での乗り継ぎにも4時間かかり、全ての移動時間を含めると、日本の自宅からブラジルのアパートまで約36時間かかる大旅行でした。ただ、アメリカやヨーロッパ経由の便は早朝にサンパウロに着きますが、ドバイ経由便は夕方着のため、ブラジル到着日はゆっくり休めるのが良い点でした。
サンジョゼは、ブラジル一の大都会サンパウロから約100km北東(リオデジャネイロ方向)にいった人口約70万人の内陸型工業都市です。飛行機の町、谷の町と呼ばれており、メイン産業は、小型ジェット機をつくっているエンブラエル、半国営の石油会社ペトロブラス、アメリカ系自動車会社GM等です。
規模はこれらにかないませんが、日系では、当社のほかに乾電池工場、機械油工場があり、日本人駐在者の合計は3社で7名でした。日本から遠く離れた地に日本人がポツンと7人いる状況では「遠くの社内より近くの社外」と言うことでお互いに交流させていただき、何をするにも心強かったことを記憶しています。
また、サンジョゼは世界一の日系人社会サンパウロ(日系人人口約100万人)にも近いせいもあって日系人コロニーがあり、知り合った日系人の方の紹介で日系人会のイベント(日本式焼肉パーティー、カラオケ大会等)にも暖かく参加させていただいたことも楽しい思い出です。
ブラジルは広大なため、一口に気候と言っても、北部は赤道直下の熱帯から南部は冬に雪の降る所もあります。
私が駐在していたサンジョゼは、緯度は南回帰線の少し北にあってアジアでは台湾と同じあたりですが、海抜700mの高地にあるため、湿度は低くカラッとして、緩やかな四季の変化がある過ごしやすい場所でした。
宗教は大半がカトリックで、キリストの像よりはマリア像を多く見かけます。願い事は何でも聞いてくれるという、アパレシーダの褐色の聖母のようなマリア像もあり、ブラジル人の気質がよく表れているように思いました。宗教がら「レディーファースト」は徹底されていますし、バス等の乗り物、お店のレジ等でもちゃんと並んで待ちます。
20世紀初めからの日本人移民がブラジル開拓に貢献したこともあり、日本人は現地の方からは尊敬されており、併せて田舎のせいもあり住民の皆さんの人当たりもよく、日本でよく言われる治安の悪さはあまり感じませんでした。
市中ではある程度の緊張感、注意は必要ですが、アジア等とさほど違わないと感じました。
サンジョゼ工場内のメイン通路
サンジョゼ工場の空撮写真
3.職場の環境
私の駐在していた工場には、私を含めて3名の日本人が駐在しており、3名はサンジョゼ市内のアパートに単身で住んでいました。
その他の日本人駐在者は、社長とともに本社機能のある大都会サンパウロに駐在しており、週に1~2回は工場へ運転手付き社用車で1時間半かけて来て打ち合わせ等を実施していました。
日系の会社ということで、約30 %が日系人でしたが、みかけは日本人でもカタコトの日本語が理解できる程度で、読み書きまでできるのは社長秘書の女性を含めて数名でした。
社内のメイン会話はポルトガル語で、英語はほとんど通じません。英語が得意ではなかった私にとっては、業務については初めからあきらめて通訳付きポルトガル語での対応となり、逆に良かったかもしれません。
ただし、四六時中通訳の方が対応できるわけもなく、会社外での一般生活ができる程度になるまでは、ポルトガル語を独学で習い、買い物、レストラン、乗り物等の対応はできるようにはなりました。
業務では会話は難しい状況でしたので、通訳の方がいない時は、図を描いたり、単語を書いたりして筆談対応していました。設計、品証、製造の技術屋は勘のいい人が多く、結構通じていました。
業務上、日本と連絡をとる必要が発生した時が大変でした。日本との時差が12時間あるため、工場にいるときは早朝6~7時や夜8~9時ぐらいしか電話やTV会議が設定できません。
日中に電子メールを送信しても返信が来るのは翌日の朝になるため、日本からもらった情報をベースに、ブラジル側でどうすれば現地には最善となるかを考えながら業務をしていました。私からの指示が遅れるとローカルスタッフの業務が停滞するので、間違っていても即断即決することを心がけていました。
アパートから工場への通勤は、社長のように運転手付き社用車対応がないので、ブラジルで運転免許をとり(国際免許が通じない)、ブラジル国産の日系小型車(オートマチック車)を購入して、自分で運転していました。
当時、BRICsと呼ばれ経済の調子がいいときで、ブラジルに新しく進出した会社では、車の使用が認められない所も多くありましたが、当社は交通網が整備されていない時代から40年の歴史があり、車でないと通えない状況で自家用車の使用が認められていました。
通勤以外でも、サンパウロ本社への出張は自家用車で片道100kmを運転して行っていました。一般生活でも、自家用車が運転できるので行動範囲も広がり、食事、買い物、レジャー(ゴルフ、小旅行等)でもとても便利でした。
サンジョゼ市内にあるアパート