基礎知識

序章 空気調和のあゆみ

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日本での空調の始まり

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photo 日本でも,昭和の初期(1920年代後半から 30年代の初めにかけて)冷凍機を用いた冷房が脚光を浴びたことがあります。米国をまねたターボ冷凍機が国産され,産業用として,また,一部百貨店などに導入されています。戦前のこうした事例の中で,一般にも知れたのは,東京・日本橋・三越の演芸場(1927年,昭和2年)や三井本館(1929年,昭和4年),大阪朝日ビル(1931年,昭和6年)などがあります。前二者はアンモニア冷凍機,大阪朝日ビルはターボ冷凍機を使用していました。また,ユニット型のクーラーとしてメチルクロライドを冷媒とした冷凍機と組合わせたものが製作されていますが,こうした動きは,日中戦争から太平洋戦争へと続く軍需産業化のうねりの中,発展することなく終わっています。
 日本での空気調和は,実質的には戦後に始まります。当初は日本に進駐した米国の施設の冷房設備の工事の受注から国産機材の採用を経て,戦後の苦境の中,朝鮮戦争を契機に復興を遂げ,セントラル空調も復興から発展へと進んでいきます。こうした中で,1953年(昭和28年),最初のウインド型エアコンが販売されます。日立製作所,東京芝浦電気,三菱電機の3社がほぼ同時期に発売したのは,フロン 12 を冷媒にしたものです。当時の仕様例として,冷房能力 850/1,000 kcal/h で重量は 100kg ,価格は24万円もしたとの記録があります。需要先は当初,おもに進駐軍向けであったといわれています。それが2001年3月(平成13年3月)現在,普通世帯で 86%がエアコンを持ち,その平均保有台数は 2.5台に達しています。
 日本の住宅では,ウインド型は窓を塞ぐため,床や壁に置くセパレート型へと移行し,1970年代には大きな市場に拡大,さらにヒートポンプによる冷暖房兼用型が普及するにいたって,ほぼ家庭における必需品となり,毎年の出荷台数は,700万台前後に上っています。
photo 現在のパッケージエアコンといわれる業務用のエアコンは,当初,文字通り「箱」でした。水冷式・床置き形のエアコンが製品化されたのは,米国からの輸入に刺激され,1951年以降,大阪金属工業(現ダイキン工業),三菱重工業をはじめ電機メーカー各社の発売が続きました。当初のパッケージエアコンの冷却水は,地下水の汲みあげによるものがほとんどでしたが,地盤沈下による工場での汲みあげ規制を契機に空冷化(リモートコンデンサ型)への道をたどり,さらにセパレート型へと移向,その後室内のレイアウトに適合するよう室内ユニットが床置きから,天井吊り型,カセット型―それも,一方向から四方向へ,ビルトイン型等へ業務用の建物に適合する製品へと変化しています。
 また中規模のビルまでを対象にしたマルチ型の発展も近年の特徴です。
 こうして,業務用空調の分野で大きな比重を持つに至ったパッケージエアコンの国内市場は,1990年代,平均年70万台を出荷するようになっています。

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